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山形地方裁判所 昭和45年(ワ)358号 判決 1977年3月30日

原告 近野光正

<ほか五名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 南元昭雄

同 渡邊良夫

同 四位直毅

被告 学校法人日本大学

右代表者理事 高梨公之

<ほか六名>

右七名訴訟代理人弁護士 山口弘三

同 野村喜芳

主文

一  被告学校法人日本大学は、

1  原告近野光正に対し金二、一〇三万五、一二一円及び内金一、九一三万五、一二一円に対する昭和四三年一一月一日から、内金一九〇万円に対する昭和五二年三月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員

2  原告近野徳夫、同近野澄子に対し各金一一〇万円及び各内金一〇〇万円に対する昭和四三年七月一日から各内金一〇万円に対する昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員

の各支払をせよ。

二  原告近野光正に対し、被告塚原よしは金七〇一万一、七〇七円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫は各金三五〇万五、八五三円及び被告塚原よしの内金六三七万八、三七四円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金三一八万九、一八七円に対する昭和四三年七月一日から、被告塚原よしの内金六三万三、三三三円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金三一万六、六六六円に対する昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  原告近野徳夫、同近野澄子に対し、被告塚原よしは金三六万六、六六六円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫はそれぞれ各金一八万三、三三三円及び被告塚原よしの内金三三万三、三三三円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金一六万六、六六七円に対する昭和四三年七月一日から被告塚原よしの内金三万三、三三三円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金一万六、六六六円に対する昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

四  原告近野光正、同近野徳夫、同近野澄子の被告学校法人日本大学、同塚原よし、同原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫に対するその余の請求及び被告朝倉健治に対する各請求をいずれも棄却する。

五  原告近野広夫、同近野きゑ子、同相澤悦子の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は、その三九パーセントを被告学校法人日本大学、同塚原よし、同原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫、その三四パーセントを原告近野光正、その一九パーセントを原告近野広夫、同近野きゑ子、同相澤悦子、その七パーセントを原告近野徳夫、その一パーセントを原告近野澄子の各負担とする。

七  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告ら)

一  被告らは、各自、原告近野光正(以下「原告光正」という。)に対し金七、九八三万七、二四四円、同近野徳夫(以下「原告徳夫」という。)に対し金一、二三三万六、一一三円、同近野澄子(以下「原告澄子」という。)に対し金三三〇万円、同近野広夫(以下「原告広夫」という。)に対し金一一〇万円、同近野きゑ子(以下「原告きゑ子」という。)に対し金五五万円、同相澤悦子(以下「原告悦子」という。)に対し金三三万円及び原告光正の内金七、二五八万七、二四四円、同徳夫の内金一、一二一万六、一一三円、同澄子の内金三〇〇万円、同広夫の内金一〇〇万円、同きゑ子の内金五〇万円、同悦子の内金三〇万円に対する昭和四三年七月一日から、原告光正の内金七二五万円、同徳夫の内金一一二万円、同澄子の内金三三万円、同広夫の内金一〇万円、同きゑ子の内金五万円、同悦子の内金三万円に対する昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで年五分の割合による各金員の支払をせよ。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言。

(被告ら)

一  原告らの各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  当事者らの地位

原告光正(昭和二七年五月二八日生)は、昭和四三年四月被告学校法人日本大学(以下「被告日大」という。)の付属山形高等学校(全日制、以下「日大山形高校」という。)の第一学年に入学し、同高校で特別教育活動の一環として行っていた生徒会体操部(顧問飯沢治教諭、副顧問金田正教諭)に所属していたもの、同徳夫、同澄子は同光正の父、母、同広夫、同悦子はその兄と姉、同きゑ子は同広夫の妻であり、後記事故当時いずれも原告光正と同居していたものである。

被告日大は、私立学校法に基づき設立された学校法人で、付属高等学校の一つとして山形市鳥居ヶ丘四番五五号に日大山形高校を設置し、これを管理、運営していたもの、訴外塚原主計は後記事故当時の日大山形高校の校長として同高校教職員を指導、監督し、被告朝倉健治(以下「被告朝倉」という。)は同校教頭として校長を補佐する地位にあったものである。そして、塚原主計(以下「亡塚原」という。)が昭和四六年三月五日死亡し、同人の妻訴訟承継人被告塚原よし、長女同被告原裕子、二女同被告田中通子、四女同被告原宣子、三男同被告塚原和夫が同人を相続した。

二  事故の発生

1 原告光正は、昭和四三年七月一日午後四時ころから前記日大山形高校体育館内で、体操部クラブ活動に参加していたところ、体操競技のつり輪運動の練習中、つり輪から二回転宙返り降り(以下「二回転着地」という。)を試みた際、これに失敗し、床面に敷かれたセーフティ・マット上に頭部から落下し、頸椎第五及び第六間脱臼の傷害を負った。

2 右事故に至った経緯は次のとおりである。

本件事故当日、原告光正は所属クラスの掃除当番に当っていたためいつもより遅れて体操部クラブ活動に参加した。ところが、既に他の部員は種目別に三班(レギュラーグループ一班、一年生に三年生一人が指導についているグループ二班)に分かれて実技練習を開始しており、同原告が配属されていた班は平行棒の練習を行なっていた。同原告は、自己の班を指導している上級生(三年生)のAに対し、遅参の理由を告げ、詫びをしたところ、同人から「いいから早くやれ。」と言われ、不断必ず実技練習に入る前に部員が行う準備運動、柔軟体操、マット運動(全部で三五分ないし四〇分程度)を一切しないで、直ちに自分も平行棒の練習にとりかかった。しかし、同原告がいつもの練習の半分程度のところで平行棒の練習時間が終了してしまい、同原告の班はつり輪練習に移った。同原告もこれに従い、他の部員と交替しながらつり輪の規定問題のうちから自分で選択して、振り、倒立・直角背面から一回転して着地する練習を一、二回行なった。三回目に入ろうとしたところ、右Aから「二回転着地ができるのではないか、今日は是非やってみたら。」と指示もしくは勧告を受けた。同原告は、二、三日前から同趣旨のことを言われていたが、二回転着地の難かしさを知っていたのでAに対し「出来るだろうか。」と反問したところ、同人から「出来るから思い切ってやってみろ。」と再度言われるに及び、これが上級生の指示であり、下級生としてはこれを拒否することは困難であったうえ周りの部員たちからも「やってみろ」とか「思い切ってやれば大丈夫じゃないか。」などと英雄心をかき立てるように扇動されたこともあって、同原告はこれを実行せざるを得ない立場に立たされると共に、他方で、右のように言われてみると、ひょっとしたらできるかもしれないという心理にもなり、遂に二回転着地を試みることになったのである。そこで、Aはつり輪グループの部員に原告光正が二回転着地を練習する旨告げて補助につくように指示し、同時に同原告も二回転着地を練習する旨周りの者に声をかけた。こうして、同日午後五時一五分ころA、Bの両名がつり輪下でそれぞれ補助態勢をとった。同原告はこの補助態勢にある程度安心して二回転着地を試みたが、空間での回転力が不足して一回半しか回転しなかったうえ、補助についた者の一人が落下してくる同原告の体を回すようにしたのに対し、他の一人が逆にそれによる回転を止めるような動作をしたために補助の用をなさず、頭部から落下してマット上に首の後側が当るような姿勢で落下し、前訳記の傷害を負った。

3 落下した原告光正は、頭部をマットに沈めた状態のまま起き上がれなかった。前記Aの急報で事故を知った体操部副顧問金田正教諭(以下「金田」という。)は、事態の重大性に気付いたか、狼狽し適切な救護措置がとれず、同原告の頭部をマットから外してやることもせず、右転落した状態のまま放置し、部員の一人に誰でもよいから呼んでくるように指示し、自分は救急車を呼ぶべきなのにタクシーを呼び、タクシーの到着後タクシーで病院に運ぶのは無理だとわかり、改めて救急車を呼ぶなどしてようやく事故発生時から一時間余も経過した後に山形市内の至誠堂病院に原告光正を収容し、応急手当を受けさせるに至った。しかし、同病院には専門医も、治療設備もなく、治療らしい治療を受けられないために、原告徳夫らが亡塚原に対ししかるべき専門医と治療設備のある県立中央病院への転院手続をとってくれるよう懇請したが、同人はかえって原告光正は死んでしまった方がましだと言わんばかりの暴言を吐いて応じてくれず、やむを得ず原告徳夫が奔走して、本件事故から三日後の七月四日県立中央病院への転院が実現し、原告光正は同月一五日に同病院で手術を受けたが、生命を取りとめることはできたものの、前記1掲記の傷害のため第六頸髄節以下完全麻痺の状態で病状が固定し、今後回復の見込みがなく、労働能力はおろか一切の生活機能を喪失し、一時たりとも他人の介護なしには生きて行けない文字通りの「生ける屍」となってしまった。

三  被告らの責任原因

1 被告日大の責任原因

(一) 原告光正、同徳夫、同澄子に対する債務不履行(不完全履行)責任

(1) 本件事故当時、右原告らと被告日大との間には、日大山形高校で原告光正に教育を受けさせることを主な目的とする在学契約が成立していた。従って、被告日大には、右契約の付随義務として右原告らに対し信義則、条理、あるいは教育基本法一〇条二項の精神等に基づき、日大山形高校の校長、教頭、体操部の指導担当者らを履行補助者として同高校での学校生活すべての面において原告光正の生命、健康に危害が生じないように万全の注意を払い、物的、人的環境を整備し、諸々の危険から同原告を保護すべき契約上の責務(以下「安全保持義務」という。)がある。そして、原告光正の属していた体操部のクラブ活動は、被告日大が日大山形高校における生徒の特別教育活動の一環として行なっていたものであるから、ここにおいても被告日大が右原告らに対しその安全保持義務を負うことはいうまでもない。

しかして、右安全保持義務の具体的内容を本件体操部に則していえば次のとおりである。

① 第一に最も基本的なこととして、高等学校における特別教育活動の一環として行なわれる運動競技のクラブ活動においてもその指導目的ないし理念がイ、健全な趣味や豊かな教養を養い個性の伸長を図り、ロ、心身の健康を助長し余暇を活用する態度を養い、ハ、自主性を育てると共に集団生活においても協力していく態度を養うという教育的配慮にあることを認識し、これに基づいたクラブ活動の運営をすること。すなわち、右目的を部員に納得させ、練習方法について正課との関連性をもたせて計画的に行い、対外競技優先、対外代表選手の偏重等の風潮を厳に排斥し、又、ともすれば運動部にありがちな上級生・下級生間に非民主的な命令、服従関係が生じないよう指導すること。

② 指導担当教職員あるいは実技指導員として技能的人物的に右の目標を実現できるにふさわしい者を選任すること。

③ 器械体操は常に危険を伴う競技であるから、何よりも部員生徒の安全を重視したクラブ活動の運営を行うべきである。そのために、

イ 部員に対し、理論面、実技面双方から器械体操の何たるかを理解させ、常に危険を伴う競技であることを徹底して教え込み、新しい技、難度の高い技の練習に際しては必ず指導担当者の適切な指導、監督の下で行なうようにさせ、間違っても部員が冒険心に駆られ勝手に自分の能力を超えた技に走らないような指導、監督すること。

ロ 最少限安全性に欠けることのない設備、器具の保持、整備につとめ、更にそのうえで安全に体操競技を行い、技術の向上をはかるのに必要とされる筋力、跳躍力、回転力、空間での体位の処理能力等を育成するためエキスパンダー、バーベル、鉄アレー、トランポリン等を具備すること。

ハ 入部に際し、各生徒の健康診断や体力測定を実施し、過去の経験等をも調査したうえで部員の体力、精神力、技術能力等に応じた個別的かつ段階的な計画性のある技術指導をすること。

ニ 正しい補助の仕方を教えること。

④ 被告日大、日大山形高校の校長、教頭及び体操部の指導担当教職員あるいは学校外の実技指導者らとの間で常時密接な連絡を取り合い、前項までの諸義務が果せるような組織体制を作り、もって特別教育活動の実が挙がるよう指導、監督すること。

⑤ その他、安全に資する一切の措置を講ずること。

等である。

(2) ところが、被告日大は次に述べるとおり、前記安全保持義務の履行が不完全であり、そのために前記二2掲記の経緯で原告光正をして本件事故に陥らせ、又事故の結果を重度なものにした。

① 体操部クラブ活動も他のクラブ活動と同じく前記(1)①掲記の教育活動の一環として行なわれるべきものであることを十分理解せず、クラブ活動の目標を対外試合で好成績を挙げることに置き、これを奨励していた。このため、被告日大の履行補助者たる亡塚原、被告朝倉、体操部指導担当教師金田は、右被告日大の方針に沿い、正課との関連を考慮したクラブ活動の運営を行なわず、金田は直接の指導者として、漫然と対外代表選手中心の指導、監督を行い、特に本件事故当時はインターハイが間近であったことから、これに出場するレギュラーグループのみにつきっきりで、原告光正のような実技能力の未熟なグループにレギュラーになれない前記Aのような上級生を配してこれに指導を任せ、最も注意を必要とする部員に対する指導、監督を怠った。又、平素から同クラブ内ではもっぱら一年生を中心とした下級生に練習場の掃除、器具の設置や後片づけをさせるなど上級生との間に非民主的ないわば上命・下服の関係を生じさせていた。このため、たとえば実技練習において技術的に下級生より未熟な上級生の実技指導、命令であっても、下級生はこれに従わざるを得ない雰囲気が形成されていたのに、金田はこうしたクラブの体質を健全なものに改善指導することもなく放置し、亡塚原、被告朝倉は右金田の指導方法に対し何らの注意助言もしなかった。

② 亡塚原、被告朝倉は昭和四三年四月から当時病気休職中の体操部の指導担当教師飯沢治に代えて金田を選任した。しかしながら、同人は同年三月末に大学を卒業したばかりの英語の教師であって、そもそも生徒の教育一般について不馴れで未熟であったし、中学校、高等学校で体操競技の経験を有するとはいえ、中学校での体操競技は、体力、運動神経等の発達の未熟な中学生の能力に応じたものでたとえば本件で問題となっているつり輪は含まれていないし、更に高校での経験といっても僅か一ヶ月半程度のものであって、専門的に器械体操の実技、理論を修得していたわけではなく、教育者としても体操競技経験者としてもおよそ高等学校の体操部を指導できる十分な能力を持ってはいなかった。にもかかわらず、亡塚原、被告朝倉は軽卒にも過去に右程度の体操競技の経験があるということから金田を適任者と判断し、同人が一旦辞退したにもかかわらず、敢えて体操部の指導担当者に選任したのである。

そのうえ、金田の能力からすれば少くとも実技指導の分野については専門的な講師なりコーチを並行して配置すべきであったし、又被告日大の能力をもってすれば充分これが可能であったにもかかわらずこれをせず、部員約二〇名もの指導者として金田一人を配置し、同人のなすがままにクラブ活動の指導を行なわせていたのである。

③ 金田は前項②のとおり、十分な指導能力を有していなかったし、又これを補うような指導体制がなかったため、部員に対してせいぜい時折精神的注意を与える程度であって、専門的に器械体操の理論、実技、これに伴う危険性等を教えることをせず、又エキスパンダー、バーベル、鉄アレー、トランポリン等の用具の設備を求めることもなく、従ってこれらを用いて筋力、跳躍力、回転力、空間での体位の処し方等安全に実技を行うために基礎となるものの育成もせず、更に部員の能力に応じた個別的、段階的な練習を行なわせ、難度の高い技術、あるいは新しい技術は必らず指導教師の適切な指導の下で行わせるという配慮もしなかった。平素の部活動の実体は、概ね上級生の指揮で三五分ないし四〇分程度の準備運動(柔軟体操、マット運動、マットの回りを数回軽くかけ足する等)をしたうえで実技練習に移り、クラブ活動の自主性にことよせて漫然と試合種目を対象に生徒が勝手に行うがままに任せ、せいぜい上級生の行なう練習を下級生が見よう見まねで行なっているのを放置し、しかも、いまだ未熟な下級生のグループに上級生でも未熟な者をその指導にあたらせるなどしていた。このため、いつしか本件事故当時のように部員間で危険な技術を求める英雄心をそそのかし、又はあおるような雰囲気が生じていたのにこれに気づかず、改善の策を講じなかった。

④ 器具の安全性に欠ける面があった。すなわち、つり輪下の着地面に科学的根拠もないのに安全性を過信して厚くて柔いセーフティ・マットを敷き、しかも右マットの表面着地部分が大きく凹状になっていたため不測の事故の場合危険の発生が大であったのに、金田はこれに危険を感ぜず、漫然とこの使用を放置していた。

⑤ 競技者が失敗した場合の危険防止方法である補助の仕方について金田はまったく指導を行なわず、部員生徒が各自に同僚や上級生の行なうのを見よう見まねで行うがままにしていた。亡塚原、被告朝倉も右につきまったく配慮することがなく、金田のなすがままに放置していた。又、補助用具も使用していなかった。

⑥ その他、被告日大は校長、教頭ら管理者及び現場の直接の指導者との間に、常にクラブ活動の実態を把握し、適切な指導、助言ができるような連絡体制を敷いておらず、又現実にも同人らは教育的配慮に基づいて相互に連絡し合い、指導、助言を求め合うということもなく、漫然と危険を包蔵したまま本件体操部のクラブ活動の運営に携っていた。

以上のとおり、被告日大の在学契約上の安全保持義務の履行が十分でなかったために、前記二掲記の態様の事故が発生したものであるから、被告日大は原告光正、同徳夫、同澄子に対して右契約上の債務不履行(不完全履行)に基づき後記四の同原告らの損害を賠償する義務がある。

(二) 原告六名に対する不法行為責任(原告光正、同徳夫、同澄子は予備的)

(1) 一般不法行為責任

被告日大は、前記のとおり付属高校として日大山形高校を運営し、同高校において特別教育活動の一環として本件体操部クラブ活動を行なわせていたものであるから、前記三1(一)(1)掲記の契約上の安全保持義務を負うほか、右契約を離れた一般的な関係においても右と同内容の安全注意義務を負っているところ、同(2)掲記のとおり、その義務に違反し、よって不法に原告らに対し後記四の各損害を与えた。

そして、被告日大は、後記三2のとおり亡塚原、被告朝倉及び金田と共同して右損害を生じさせた共同不法行為者であるから、民法七〇九条、七一〇条、七一一条、七一九条一項により同人らと共に前記各原告らに対し、この損害を賠償する義務がある。

(2) 使用者責任

亡塚原、被告朝倉、金田の不法行為は後記三の項2のとおりであるが、これは前記のとおり、被告日大の業務目的である学校教育のうちの特別教育活動である事業の執行の際行なわれたものであるから、被告日大は、民法七一五条一項により使用者として原告らの被った損害を賠償する責任をも負う。

2 原告六名に対する亡塚原、被告朝倉の責任原因

(一) 一般不法行為責任

本件事故当時、亡塚原は前記のとおり日大山形高校の校長として同校教職員を指導、監督すべき地位にあり、被告朝倉は同高校教頭として亡塚原の職務を補助すべき立場にあったもので、いずれも本件体操部クラブ活動の実施、運営においてもこれが特別教育活動の一環として行なわれていたものであるから、部員生徒に対してそれぞれの立場で前記三1(一)①ないし⑤掲記の安全保持の注意義務を有していたのに、同三1(二)①ないし⑥掲記のとおり、右注意義務を怠って本件事故を発生させ、もって被告日大と共同して原告らに対し不法に後記四の各損害を与えたものであるから、民法七〇九条、七一〇条、七一一条、七一九条一項によりこれを賠償すべき義務がある。

(二) 代理監督者責任

体操部の直接指導担当者金田もその立場上少くとも前記三1(一)①③⑤の安全保持の注意義務を負っていたのに同三1(ニ)掲記のとおりこれらの義務に違反し、本件事故を発生させる一因となったのであるが、亡塚原は右金田の使用者たる被告日大に代って金田を指導、監督する立場にある者、被告朝倉はこれを補助する者でもあったから、民法七一五条二項により原告らの損害を賠償する責任をも負う。

四  損害

1 原告光正の損害 金七、九八三万七、二四四円

(一) 付添看護料 金一、八九二万六、八五六円

原告光正は前記二3掲記の症状のため事故後今日に至るまで母親の付添看護を受けてきたし、又その症状から今後終生間何人かの付添看護を必要とするところ、原告光正のような重症者の附添看護料は一日につき金三、六〇〇円(日本臨床看護家政婦協会協定料金)が相当であるから同原告の成人到達(昭和四七年五月二七日)後の残余生存可能年数を五二年として、中間利息を控除してホフマン式により事故時における将来の右費用相当損害額の現価を算定すると金一、八九二万六、八五六円となる。

(二) 療養雑費 金二七〇万四、三八二円

原告光正は死亡するまで通常の病人とは異質な療養をしなければならないところ、後記四2(一)(2)の昭和五〇年四月までの右費用(これは原告徳夫の損害)の平均的な値である一日金五〇〇円を基礎にしてその後の右費用相当の損害額を積算すると、昭和五〇年一二月までの八ヶ月分金一二万円、それ以後の残余生存可能年数四九年分を中間利息を控除してホフマン式で算定した金二五八万四、三八二円との合計金二七〇万四、三八二円となる。

(三) 病室建造費 金三〇四万一、五〇五円

原告光正は神経が麻痺しているため温度、湿度の変化に適応できず発汗作用の調整ができないので室温等を常に一定に保たなければならず、このためには冷暖房その他空調設備を完備した独立の療養室が必要であり、その建造費は、昭和四七年当時の見積りで金三〇四万一、五〇五円であるからその後の物価上昇を考慮すると、少くとも右金額を下ることはない。

(四) 逸失利益 三、九九一万四、五〇一円

原告光正は前記二3のとおり労働能力を完全に喪失している。しかして同原告は本件事故当時一六歳の健康な男子であり、平均余命五六・〇八年(昭和四七年簡易生命表)のうち就労可能年数四四年間(一九歳の四月から六三歳まで)は何らかの企業に就職し、少くとも製造業(規模一〇〇人~九九九人)における男子労働者の賃金(昭和四九年労働白書の「第三六表、製造業・企業規模並びに年令別賃金及び年令別賃金格差の推移」及び「第三四表、特別給与の規模別支給状況」)と同額程度の収入、及び六四歳から七二歳までは少くともその直前の二分の一の収入を得られるはずであるから、以上を基礎にして昇給分を見込みホフマン式複式により年五分の中間利息を控除して事故時における同原告の逸失利益の現価を算定すると金三、九九一万四、五〇一円となる。

(五)慰謝料       金八〇〇万円

原告光正は運動神経が発達していて体操部で将来を嘱望されていたほか本人は国民体育大会やオリンピックの競技に出場することを夢見ていたものであるが、被告らの前記債務不履行ないしは不法行為により、僅か一六歳にして人生のすべての希望を奪われ「生ける屍」として一生寝たきりの闘病生活を強いられるに至ったこと及び事故後の被告らの不誠実極まりない態度等を考慮すると、同原告の精神的苦痛を金銭に換算すれば金八〇〇万円を下ることはない。

(六) 弁護士費用 金七二五万円(万未満切捨)

前記(一)ないし(五)の請求金額の一〇パーセント

2 原告徳夫の損害 金一、二三三万六、一一三円

(一) 療養費 金一〇一万一、七五九円

原告徳夫が同光正のために支出した療養費(事故以来昭和四七年四月一九日までの分)

(二) 療養雑費 金八七万八、三五四円

原告徳夫が支出した本件事故以来昭和五〇年一月末日までの療養雑費。

(三) 原告澄子の下宿料 金一九万四、〇〇〇円

原告澄子は同光正が県立中央病院に入院中病院の要請により終始付添いをしなければならなかったため、原告徳夫の負担において右病院近くに一間を借用し下宿した費用。

(四) 原告澄子の付添費相当の損害 金五〇五万八、〇〇〇円

原告光正は前記のとおり付添看護を必要とするところ、原告徳夫は同澄子をして本件事故当日から現在に至るまで家事を放棄させて右付添の任に当らせてきた右付添費相当の損害のうち原告光正が成人に達する前日昭和四七年五月二七日までの分は原告徳夫の被る損害として、これを前記一日金三、六〇〇円で積算すると金五〇五万八、〇〇〇円となる。

(五) ベット購入代         金四万円

(六) 車いす購入代  金三万四、〇〇〇円

(七) 仮療養室改造費    金一〇〇万円

原告光正の療養のためには前記四1(一)掲記の特別な療養室が必要であるが、原告光正の退院に合わせて取りあえず原告徳夫が同人の住宅の一部を仮に療養室用に改造した費用。

(八) 慰謝料          金三〇〇万円

(九) 弁護土費用       金一一二万円(万未満切捨)

前記(一)から(八)までの請求金額の一〇パーセント

3 原告澄子、同広夫、同きゑ子、同悦子の損害 順次金三三〇万円、金一一〇万円、金五五万円、金三三万円

(一) 慰謝料 原告澄子金三〇〇万円、同広夫金一〇〇万円、同きゑ子金五〇万円、同悦子金三〇万円

右原告らの原告光正との身分関係は前記一のとおりであり、本件事故に至るまでは平穏な家族共同生活を営んでいたが、本件事故により原告光正は死亡と同然の状態になり右生活は破壊されてしまった(原告悦子は昭和四八年一二月四日婚姻、原告光正とは別居)もので、それぞれの精神的苦痛を金銭に換算すると頭書のとおり。

(二) 弁護士費用 原告澄子金三〇万円、同広夫金一〇万円、同きゑ子金五万円、同悦子金三万円

右各原告らの慰謝料の一〇パーセント

六  結び

よって、原告らは、前記申立記載の金員及び各弁護士費用を除く各内金に対する本件事故発生の日である昭和四三年七月一日から、うち弁護士費用相当金員については判決言渡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの答弁)

一  答弁

1 請求原因一の項は認める。

2(一) 同二の項1は認める。

(二) 同項の2のうち、原告光正が掃除当番のため体操部のクラブ活動に他人より遅れて参加したこと、部員は三班に分かれて実技練習をしていたこと、原告光正の班の指導者が三年生のAであったこと、原告光正が二回転着地を行った時部員のA、Bが補助をしたが、原告光正が回転力の不足により頭からマット上に落下したことは認める。その余は否認する。

原告光正は予告なしに二回転着地を試みたのであって、Aらの補助は役に立たなかったのである。

(三) 同項の3のうち、事故後金田が原告光正を病院へ運ぶため一旦タクシーを呼んだこと、その後救急車を呼び至誠堂病院へ運び手当を受けさせたこと、その後同原告は県立中央病院へ転院し、手術を受けたことは認める。しかし、右過程において金田には勿論、被告らには何ら事故後の処置につき誤りはなく、迅速、的確に事は処せられたのであり、転院の経緯についても亡塚原、被告朝倉らの尽力により行なわれたことが明らかであり、同人らが原告徳夫に対し暴言を吐いたことなどはない。

3(一) 三の項1の(一)(1)のうち、原告主張の在学関係から債務不履行の前提としての安全保持義務が被告日大にあることは争う。もち論、学校教育の場においても危険の発生を予防する必要のある部門もあるが、不法行為の理論によって処理されるべき問題であって、償務不履行論で処理すべき事柄ではない。従って、債務不履行の前提として掲げる原告の主張①から⑤までは争う。

(二) 同(2)は、債務不履行を前提とする主張であるからすべて争う。

(三) 同項1の(二)(1)のうち、被告日大が本件体操部クラブ活動を行なわせるうえで、部員生徒の生命、身体の安全を十分配慮すべき一般的な注意義務を負うことは認める。この意味で、請求原因三項の1(一)(1)の、①、②、③のうち前文部分、イ、ロのうち安全な設備、器具の保持、整備につとめるとの部分、ハのうち健康診断、体力測定の実施の点を除く部分、ニ及び④のうち校長らをして体操部顧問らとクラブ活動の運営につき協議、検討し合って行なわせるとの限度で、右の各注意義務のあることは認めるが、右注意義務の違反があったとの点は争う。すなわち、(1)本件体操部の運営につき日大山形高校の亡塚原校長、被告朝倉教頭は請求原因三の項1(一)①掲記のクラブ活動実施における指導理念を目標とし、前記金田もこれを十分理解し、部員生徒の生命、身体に対する安全を十分考慮していた。又、平素からインターハイ等の対外試合を刺戟材料として練習の意気を上げる一助としてはいたが、それのみを目的として右クラブ活動を運営していたのではない。(2)顧問ないし指導担当者の選任に当っても、右特別教育活動の目的に鑑み、技術的な指導よりも部内の人間関係の指導により重要な役割を求めていたものであるところ、金田は英語の教師であったが人格識見に優れ、指導力もあって右の要請によく応え得ると判断したほか同人が中学、高校時代に体操競技の経験を有していたので体操部の指導者として適任であったから、同人を副顧問という肩書で選任したものである。なお、昭和四六年四月現在山形県下の高校の体育部の指導者のうち約三三%余が体育専門教師でないことからも、金田が英語担当教師であることのみをとらえて不適任呼ばわりするのは当らない。(3)練習方法においては、理論面については教科の保健体育の授業のほか、必要図書を学校図書館に備え付け、又、部員各自に参考書を購入させるなど適切な指導を行い、実技面については事前に約一時間の入念な準備運動を行なわせ、実技に入っては全体をレギュラーメンバーの班、二、三年生及び一、三年生の各混合班の三班に分け、金田の統括指導の下で各班に上級生を指導補助員として配し、易から難へと無理のない練習計画を立ててこれを実行し、部員に対しては右練習計画を無視して独自の練習をしないよう注意を与え、部員もこれを守り、自分勝手に例外的な練習をすることはなかった。従って、これらの指導方法及び練習の実情に照らし、本件事故当時も原告光正の班には一回転着地を行なわせていたのであって、同原告が二回転着地を行うなど思いもよらないことで、いわば不可抗力であった。(4)器具、用具の安全性についても十分な注意を払った。事故当時使用していたウレタン・マットは当時としては他校のマットに比して類のない安全度の高いマットであった。又、実技練習の際の危険防止方法として、万一の危険に備えて、つり輪の場合はいつも四人の部員を補助につかせ、事故当時原告光正の試技には六人の補助がついていた。従って、危険防止に手落ちはなく、十分に安全義務を尽していた。(5)亡塚原校長は、金田に対し、職員会議、朝礼、顧問会など機会あるごとに学校の組織機構を通して、クラブ活動を含めた教育全般について指導監督をし、被告朝倉教頭も亡塚原の意を体してこれを補佐し、そのほか巡視などもして、可能な限りの十分な監督をしていた。

同項1(二)の(1)のうち、本件事故が被告日大の事業の執行中に生起したことは認めるが、亡塚原、被告朝倉及び金田の不法行為は否認する。

同項2の(一)のうち、亡塚原、被告朝倉には体操部クラブ活動の運営上生徒の安全を保持する義務のあることは前記3の(三)掲記の限度で認めるが、同人ら及び金田が右注意義務に違反したとの事実は否認する。同人らが十分な注意義務を尽していたこと同所掲記のとおりである。

同項2の(二)のうち、金田が体操部の指導担当者として生徒の安全を保持する義務のあることは前記3の(三)掲記の限度で認めるが、その余の主張は争う。

4 同四の項は、(その1(四)のうち本件事故当時原告光正の年令が一六年であったことは認める。)すべて争う。

二  抗弁

1 過失相殺

仮に被告らに何らかの理由で原告らの損害を賠償する責任があるとしても、本件事故の発生は原告光正が当時練習種目として指示されておらず、又、一度も練習したことがなく成功について確たる判断もつかない二回転着地を軽卒にも英雄心に駆られてか独自に突然敢行したことに起因するもので、周囲の部員から多少の扇動めいたものがあったとしても本件事故発生に寄与した同原告の過失は極めて大きい。従って、本件賠償額の算定に当っては右原告の過失を十分に考慮すべきである。

2 損害の一部補填

原告徳夫の請求にかかる療養費名目の金一〇一万一、七五九円が、仮に同原告において出費を余儀なくされたものであっても、訴外日本学校安全会から既に右同額の支払いを受けているから、その損害は補填されている。

(被告らの主張に対する原告らの反論)

一  過失相殺について

争う。仮に原告光正が二回転着地を試みるに際し、何程かの英雄心めいたものが働いたとしても、当時同原告は高校生とはいえ中学校を卒業して間もない精神的に未熟で他からの影響に左右され易い年令(一六年)であったこと、被告らはこのことを十分承知して部員生徒が危険な試技を行なわないよう注意してクラブ活動を運営すべきであったのにこれを怠っていたこと等に照らすと、同原告が右の精神状態に陥ったのは被告らの右義務違反に基づくものであって同原告の過失と評価すべきではないし、更に一歩譲って仮に右を過失とみても、被告らの責任の余りに重大であることに比較すれば同原告の過失は無視されるべきである。

二  損害の一部補填について

日本学校安全会から支払いのあったことは認める。しかしながら、この受給額は、被告らから損害の支払を受けた際に同安全会に返還しなければならないことが予測されるので、未だ損害の補填があったとはいえない。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者らの地位、身分関係と本件事故の発生

当事者らの地位、身分に関する請求原因一の項及び本件事故の発生に関する請求原因二の項1の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  被告日大の原告光正、同徳夫、同澄子に対する債務不履行責任の存否

まず、原告徳夫、同澄子は、被告日大との間に原告光正を日大山形高校で教育を受けさせることを内容とする第三者のためにする契約をした趣旨の主張をするが、幼稚園、保育園等との間に保護者が幼児の保育委託契約をするのは幼児に意思能力のないことを前提とするものであるからこれを肯定することができるが、高等学校の生徒には意思能力を肯定できるのであるから、生徒と学校法人である高等学校との在学関係は、一般に該高等学校に入学する生徒自身と高等学校との間に、生徒は学校の指導に服して教育を受け、所定の授業料を納付する等の義務を負うとともに、学校は生徒に対してその施設を供しその雇用する教員に所定の課程を授業させる義務を負い、生徒の親権者らは生徒の当該入学契約について同意を与えているものであって、親権者らと学校法人との間には直接生徒に対する高等教育を受けさせることの委託関係は存しないものと解される。生徒が親権に服すること及び親権者が生徒の授業料等の学費を負担すること自体は生徒と学校法人との前記法律関係を否定し、逆に親権者らと学校法人との間に生徒の教育を委託する第三者のためにする契約を肯定する根拠とはなり得ない。

そうだとすると、原告徳夫と同澄子の被告日大に対する私法上の法律関係を肯定できる格別の証拠のない本件では同被告に対する債務不履行を理由とする損害賠償請求はその余の点について検討するまでもなく理由がない。

次に、原告光正の被告日大に対する債務不履行による損害賠償請求について検討する。

原告光正と被告日大との法律関係は前記説明のところから明らかであるから、学校教育の場において危険を伴う場合被告日大はその在学契約に附随するものとして原告光正の生命、身体の安全を保持する義務を負うことも明白である。そこで、本件事故との関連において被告日大がどのような安全保持義務を懈怠したかを検討する。

1  本件事故発生の経緯

《証拠省略》を総合すると、本件事故当時、日大山形高校の体操部は金田正を指導担当責任者(肩書は副顧問、顧問飯沢治は病休中)とし、部員約二〇名弱(三年生六、七人、二年生二人、一年生一〇人位)を擁し、これを対外試合に出場する選手及びその補欠の所謂レギュラーグループ(三年生の一部と二年生二人)と残りの一年生を二分した計三班に分けて練習を行っていたが、一年生グループにはそれぞれに三年生でレギュラーから外れた者一名ずつを指導者として配置していた。事故当日の練習種目(器具を使うもの)はつり輪、平行棒、鞍馬であり、これを各班ごとに順次交替して三種目を行うことになっていた。原告光正は三年生のAが指導についていた班に属し、ほぼ請求原因二の項の2掲記の経緯で事故直前にはつり輪の練習に入り、振り・倒立・直角背面から一回転して着地する練習を行っていた。原告光正が一回目の練習を終った際同原告の一回転着地を見ていたAは、他の部員と比較して同原告の回転にはスピードがあり、回転の位置が高く、滞空時間も長いと思い、同原告なら二回転着地ができると判断し、同原告に対し、二回転着地ができるのではないか、やってみたらどうかと勧めた。又これに追随して周りの部員達の何人かも、思い切ってやれば大丈夫ではないかという趣旨のことを口々に言った。このため、教日前からAに右同様のことを言われてはいたものの、自信がなく実行しなかった同原告も、二回目の一回転着地を試みた後、午後五時三〇分ころ三回目にできるだろうという気持になり、二回転着地を試みることにした。そこで同原告はつり輪下に立ち、平素から試技に入る前に補助者に技の内容を告知する慣例に従って、二回転着地を試みる旨周りのつり輪グループの部員に声をかけ、一方Aは同グループの部員に対し補助につくよう指示し、これに従ってAがつり輪下に敷いたマット端上の体育館入口側に、一年生のBがこれに向い合うようにして反対側の右マット端上に位置し、その他の部員もほぼ全員がつり輪下付近に集まり、それぞれに補助する態勢をとった。同原告は右のとおりできるだろうと思ってはみたものの、一度も試みたことのない技であり、やはり失敗しないだろうかとの一抹の不安を拭い切れなかったが、右の補助態勢を見るに及び、もし失敗しても怪我をすることはあるまいと安心して試技に入った。ところが、一回半程度しか回転することができず、床に敷かれたセーフティ・マット(ウレタンマットともいう。)に後頭部から後頸部にかけての部分が当るような姿勢で落下し、前記当事者間に争いのない傷害を負った。(なお、Aら補助についていた部員は、同原告が失敗して落下してくるのを見て慌てて手を出したが数人の手がその身体に触れた程度で補助らしい補助ができなかった。この点について、《証拠省略》中補助者の一人が同原告を回すようにしたのに他の一人がこれを止めるような動作をしたため、同原告が落下時のような姿勢になってしまったとの部分は、《証拠省略》に照らし採用できない。)

2  本件事故当時の日大山形高校の体操部クラブ活動の実情

《証拠省略》によれば、昭和三五年一〇月一五日付文部省告示第九四号「高等学校学習指導要領」の第三章「特別教育活動及び学校行事等」の項第三クラブ活動では、クラブ活動は生徒の自発的な活動を助長することを建前として教師の適切な指導を必要とし、指導計画を作成実施すること、指導に当っては生徒の興味や欲求の充足に留意するとともに熱心さの余り行き過ぎの活動に陥ることのないように配慮する必要があるとされているところ、《証拠省略》によれば、本件事故当時、日大山形高校体操部のクラブ活動は、昭和四三年三月大学を卒業したばかりの金田正を中学校時代体操の経験があることを理由に同部の副顧問に選任、同年五月から病気入院することになった同部顧問飯沢治教諭に代わって同部の指導担当教師とし、前記部員二〇名弱を擁して、正規の授業が終了した午後三時一〇分以後、掃除当番を除いた部員は大体午後三時三〇分ころには体育館に集合、上級生(三年生)部員の指示によって器具類を用意し、準備運動を約一時間位してから体操の各種目の演技に入るため上級生の指示によって班別と練習科目を決定され、三年生が下級生の現実の指導者となり演技の練習に入る。金田顧問は所定の仕事を終えて大体部員達の準備運動をしているころ臨場し、終了時まで部員らの練習を見守っていることを常とした。金田顧問は、部員に対しては一般的に怪我をしないようにと注意するほか、部活動について中学校で経験のある者は中学校でやった以上のことをしてもよいといゝ、補助については目を離さないでするようにと指示するに留まり、部員自身は、先輩上級生の演技や補助の仕方を見よう見まねで覚えることを常としており、演技の練習についての具体的な計画を作成した形跡がなく、一般的に「易から難へ」「低度から高度へ」といった方針が貫かれて来た。かくして、ともすれば、上命下服の風潮がかもし出される虞のある中で下級生部員が新らしい技を練習するには指導担当教師に告げてからするというシステムにはなっておらないというよりは部員一同に徹底しておらず、事実上、上級生に対してこれを告げあわせて他の部員の補助を求めるため演技に入る前にその内容を告げ、補助員が所定の位置についたのを見定めてから演技を開始することとなっていたこと、本件事故当日、体操部副顧問の金田教諭は専ら一九日後に控えた国民体育大会の山形県予選に出場するレギュラー・グループの鞍馬の練習に気をとられ、平行棒グループと鞍馬グループとのほぼ中間側面にいて、本件事故をAから知らされるまでこれを覚知しないでいたものであることが認められ(る。)《証拠判断省略》

3  二回転着地の困難さ

《証拠省略》を総合すると、二回転着地は現在でこそ平均的な高校の体操選手なら普通にこなしている技であるが、本件事故当時は山形県内の高等学校の体操競技会において僅か一名の他校選手が行っていた程度で、日大山形高校にはこれをしたことのある部員が一名いる程度で、しかし、これをこなせる者は一人もいなかった程の高度でかつ難しい技であった。それだけに二回転着地は当時体操を行っている高校生の間でいわば憧れの技であった。これを成功させるには、十分な回転のスピード、高さ(滞空時間)等が要求されることは勿論のこと、そのうえ落下しながら二回転して着地するものであるため空中で身体のバランスを保持するのが一回転に比し極めて困難となるので、二回転してもバランスを失わないよう自分の身体が空間でいかなる姿勢になっているか認識し、空間で自己の身体をしっかり支配できる能力が要求される。そして、右練習に際しては、一回転を十分にこなせる者でも最初のうちはトランポリンで空中回転の練習をしてその感覚を養うか補助ベルトないしこれに準じる紐類を腰に巻きつけて(但し演技中ベルト等が身体に巻きつくため一般に使用されていない。)万一の失敗に備えたうえで十分に二回転の空中感覚を身につける練習を反復し、そのうえで徐々に単独で行う回数を増していくというようにし、又、常に的確な補助があることすなわち回転を伴う技で通常多く行われる方法は競技の遂行を手助けすることを目的として競技者の首、肩、腰等を回してやる方法であるが、本件のように頭部から落下してきて右のような方法では間に合わない場合には何よりも生命の危険を防止するために少々の怪我を与えるのは覚悟のうえで身体ごとぶつかるようにして抱きとめるという方法などが安全に二回転着地を修得するためには必要であることが認められ、この認定に反する証拠は存しない。

4  班指導者Aと原告光正の技量と知識

《証拠省略》を総合すると、本件事故当日、原告光正の班の指導者としてついた前記Aは原告光正の班の指導に当ってはいたが、技術的にはレギュラーグループに入れなかったものであり、又特に体操理論面に通じていたというわけでもなく、同原告に二回転着地が可能かどうかの十分な判断能力はなく、そのような者が二回転着地を行うに際していかなる措置を講ずればよいか等について配慮するだけの分別も有していなかった。その他の一年生達も勿論同様そうした判断能力、分別等を有してはいなかった。同原告は、中学時代から体操に親しみ、遊び程度であるがつり輪も試みたことがあって、本件事故当時はつり輪種目に優れ、一年生部員の中では上位の技量の持主でAよりも上であった。しかし、そうはいっても、つり輪を本格的に始めたのは本件体操部に入ってからであって、僅か二か月余の経験でしかなく、又、体操部では特に理論面からの学習指導が行なわれていたわけでもなかったので、観念的な技術知識も乏しいものであった。しかるに、同原告はAらから二回転着地を勧められた際、同人らから二回転について格別説明を受けたわけではなく、又自分からこれの説明を求めるということもせず、従って二回転着地がどのような基礎要素を必要とするか、どの程度難しい技なのか等について殆んど確たる知識がなく、漠然と二回転して着地する技という程度の理解のまま、安易にできるだろうという気持を抱き、試技に踏み切ったのである。

5  安全マットの使用

《証拠省略》を総合すると、本件事故当時を含めて日大山形高校の体操部活動におけるつり輪の下には、巾一・二メートル、長さ約六メートル、厚さ〇・一五メートルの長マットを二枚接して並べ、その継ぎ目に同じ長マットを重ねて敷き、その上に更に巾が約一・八メートル、長さ約三・二メートル、厚さ〇・三メートルのセーフティマットを重ねて敷いていたが、事故当時使用していたセーフティマットは一枚のスポンジでできたもので、中央着地部分が直径約一メートル、深さ〇・一五メートルの窪みになっていたこと、当時、県内の他高校においても前記長マットやセーフティ・マットを使用していたもので、回転系技や下り技等捻挫を予想される場合に一般に使用されていたものであって、本件事故のように回転不足で落下することを予想したものではなく、回転不足のような場合は前記のように補助者の手によって危険を防止することが予定されているものであることが認められ、この認定に反する証拠は存しない。

原告光正は、セーフティ・マットを使用したため本件事故のような被害を重度のものにした旨主張するようであるが、前記認定の事実に照らし採用できない。

叙上認定の事実からすると、日大山形高校の体操部活動は国民体育大会、インター・ハイ等に代表選手を出場させることをその一つの目標として行われて来たものであるが、日常の部活動については一般的な計画の樹立の見るべきものがなく、特に生徒の生命、身体の安全をそこなう虞のある体操種目つり輪等についての安全保護対策として精神的にも未熟で冒険心、英雄心等に駆られて自己の技術以上の技をしがちな生徒にこれを抑制させ、又本件事故当日のように国民体育大会に出場予定のレギュラー・グループの編成があったのであるから、下級生のみで編成された他のグループに対する安全配慮としては技術的にも精神的にも優れた上級生ないし他の適当な指導教師を配するか自らこれにあたる等の措置をとってこれを監督し、もって不測の事故の発生を未然に防止し生徒の生命、身体の安全を保持すべき義務があったのにかゝわらず、被告日大の履行補助者である体操部指導担当教諭金田正は前記認定のようにこれらを怠ったため、原告光正の過失と相俟って本件事故を惹起させたものといわなければならないから、被告日大は原告光正に対し安全保持義務の不履行によって生じた同人の損害を賠償する義務がある。

三  被告日大の原告六名に対する責任

原告六名は、被告日大は原告六名に対し不法行為責任を負う旨主張するが、被告日大は学校法人であるから民法四四条に則り理事その他の代理人がその職務を行うにつき他人に損害を加えたときにのみ責任を負うのであって、被告日大の理事その他の代理人の行為についてはなんらの主張、立証のない本件では原告六名の主張は容れる余地がない。

しかし、本件事故が被告日大の事業の執行中に生起したものであることは当事者間に争いがなく、前記二の項説示のところからすれば被用者金田には安全保持義務違背の過失があることは明らかである。

そこで、被告日大は、被用者金田の選任、監督につき相当の注意をした旨主張するので検討するに、金田が体操部副顧問として本件事故の三か月前に選任されたこと、同人の経歴等は前記二の項2掲記のとおりであるが、《証拠省略》を総合すると、本件事故当時、山形県内の各高校における運動関係クラブの指導担当教師の選任は、教師の定数の関係上体育専攻の教師のみでは足りないところから、他教科専攻の教師を充てざるを得ない状況にあったが、その選任に際してはできるだけ当該所属部の内容を経験した者を探すようにしていたことが認められるから、少くとも日大山形高校の体操部指導担当教師として金田正を選任したことには被告日大として相当の注意をしたものということができる。しかし、《証拠省略》によれば、日大山形高校において亡塚原校長及び被告朝倉教頭が各クラブの指導監督につき毎月職員会議又は毎朝行われる職員の朝礼の際に報告を聞く程度のことをしていたことが認められるだけで、生徒の生命、身体に対する危険を伴うクラブ活動の年間計画等の立案及び危険防止の具体的方策等については各クラブ指導担当教師からこれを聴取したり具体的に監督する等の措置をとっていたことを認めるに十分な証拠はない。

そうだとすると、被告日大は民法七一五条一項に基づく使用者責任を負わなければならない。

ところで、原告光正は被害者本人であるから民法七一五条一項によっても自己の受けた損害を被告日大に請求することができることは自明であるが、原告光正以外の原告五名は、原告光正と前記一の項掲記の身分関係を有するに過ぎないから民法七一一条によって慰謝料請求権を有するかどうかの問題になるところ、同法条は死亡した被害者の一定の親族に慰謝料請求権を認めるものであって、本件では原告光正が生存しているもののその後遺症状は後記五の項1(一)のとおりであって意識はあっても首以下の神経麻痺により寝たきりの生活を送らなければならないことが明らかであるから、死亡に準じて原告徳夫、同澄子には慰謝料請求権を認めるのが相当である。しかし、原告広夫、同きゑ子、同悦子についてはこれを認める余地はないものというべきである。

四  亡塚原、被告朝倉の原告六名に対する責任

1  亡塚原について

前記二、三の各項に説示したとおり、本件事故は体操部の直接の指導担当責任者金田が職務を行うにつき安全保持義務を怠った不法行為に基づくものでもある。そして、本件事故当時、亡塚原は被告日大の経営する学校事業の一部門である日大山形高校の校長として、同被告から右学校運営に関して包括的に教職員に対する指導、監督権を委ねられていたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、亡塚原は、クラブ活動の運営に関しては各クラブの指導担当者を選任し、月一度の職員会議、毎日行なわれる教職員の朝礼会等の機会を通して各指導責任者から運営状況を聞き、注意、助言を与えたりし、又、体操部を含む運動クラブに対しては定期的に顧問会を開催させて問題点についての意見交換や検討を行わせるなどして各クラブの指導担当者の監督指導を行っていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。そうすると、亡塚原は本件体操部クラブ活動の運営につき使用者たる被告日大に代って右金田を選任、監督すべき地位にあり、又現実にこれらを行っていたものというべきであるから、民法七一五条二項にいわゆる使用者に代って事業を監督する者に該当するものというべく、金田の前記不法行為について亡塚原が前記三の項に認定したとおり金田の体操部指導教師としての生徒の生命、身体の安全を確保すべき職務の指導監督に相当の注意をしていたことはこれを肯認できないから、亡塚原はいわゆる代理監督者としての責任を負わなければならない。

なお、原告広夫、同きゑ子、同悦子の慰謝料請求の理由のないことは、前記三の項掲記のとおりである。

2  被告朝倉について

被告朝倉は、本件事故当時日大山形高校の教頭として亡塚原校長の職務の遂行を補佐していたものであることは当時者間に争いがないが、他に同人を排して自ら代理監督者として金田を指導、監督していたことを裏づけるに足りる証拠はない。従って、同被告は被告日大に代って金田を指導、監督する地位にあったとはいゝ難く、又被告朝倉はクラブ活動の運営につき全体的な観点から校長を補佐する立場にあることに鑑み、個々のクラブ活動の練習に際して直接的な安全注意義務を負うものとはいえないから、被告朝倉は本件事故の結果につきなんらの賠償義務も負うものではない。

五  原告らの損害

1  原告光正の損害 金二、一〇三万五、一二一円

(一)  同原告の後遺症状

《証拠省略》によると、原告光正の後遺症状として次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

原告光正は本件事故により第五、第六頸椎を脱臼し、そのために頸部を通る神経が切断され、第六頸髄節以下の身体(首から下全部)が麻痺状態となった。すなわち、事故以来同原告は頭脳活動や頸部から上の知覚(視聴覚、臭覚、味覚等)機能には異常を認めないが、頸部から下は麻痺しているため、自力で起き上ったり、歩いたりするのは勿論のこと、寝返りを打つことも、手指を曲げることもその他一切の肉体的動作ができなくなった。のみならず、右のほかにも空腹感、満腹感がないため食事は機械的に一定時に一定量を食べさせてもらうだけであるし、又排便、排尿のため必要な諸器官も麻痺し、便意、尿意を感じて自分の意思でこれらをコントロールすることができない。従って排便はおむつをあてがっておき、しかも腸の動きが悪いため便秘がひどく下剤を用いて排出しなければならず、排尿は尿道に尿道管を通して流し出すしかなく、車いすによる長時間の外出、就寝などの時には陰茎にビニール袋を結えつけておく。そのうえ、ときには膀胱に菌が入り膀胱炎を起して高熱を出すこともある。更に、温度、湿度の変化に適応できず、皮ふの発汗作用が悪いため風邪を引きやすいので、病室の温度、湿度の調節に注意することが望ましい。又、皮ふ組織も極めて退化し、弱くなっている。

現在まで機能回復訓練を種々試みてきたが、寝たままの状態で手首を僅かに自分の顔あたりまで持ち上げることができるようになったのみで、今後の回復の見込みは腕にひっかけることができる特殊なスプーンを用いて食事をすること、身体障害者用に改造した手首全体を使う特殊なタイプライターを打つこと、車いすが改良されればこれを乗り回す(現在の車いすではほんの僅かの上り傾斜面でも自分の力で進めることができず、又方向転換もできない。)程度が限界である。なお、前記切断された神経を接合する手術は現在の医学水準では危険が大きすぎて期待することは殆んど不可能とみるべきであり、右に認定した原告光正の後遺症状はほぼ固定されたものと認めるのが相当である。

(二)  損害について

人身の死傷事故による損害は死亡又は傷害の被害事実自体であって各種の損害費目は損害の評価算定の資料にすぎないと解されるところ、本件での財産上の損害については原告光正、同徳夫の各損害費目を主張しているが、本件事故による財産上の損害は原告光正の受傷そのものであるから原告徳夫には特段の事情のない限り本件事故による財産上の損害は生じ得ないものと解される。従って、原告徳夫の主張する財産上の損害費目は原告光正のためにも主張しているものと解することができる。以下これを前提として検討することとする。

(三)  医療費 金一一八万三、三七六円

原告光正の本件事故による後遺症状は前記(一)のとおりであるところ、《証拠省略》によると、原告光正は事故の日から山形市内の至誠堂病院に三日間、その翌日から昭和四六年五月三一日まで県立中央病院に入院し(この間手術実施)、一旦同病院を退院し再び同日から翌年四月一九日ころまで及び昭和四九年一二月一九日から六か月以上にわたり後遺症状のため公立高畠病院に入院して治療を受け、その他入院しないまでも医者の治療を受けるなどしてそのための費用合計金一一八万三、三七六円を要したことが認められる。

(四)  療養雑費 金五八九万二、四〇〇円

《証拠省略》によれば事故後今日に至るまで紙おむつ、ビニール袋、ガーゼ等を購入するなどして日常生活費以上の費用を要したことが認められるが、これを一日平均金五〇〇円程度とみるのが相当であるところ、本件事故当日から本件判決言渡当日まで三、一九五日分合計金一五九万七、五〇〇円を要したことが認められ、更に今後前記症状に加えて《証拠省略》によって認められる原告光正の余命は通常人より短縮されるであろうこと及び同原告の現在の年令二四才を考慮してその残余生存可能年数を四六年、療養雑費年間金一八万二、五〇〇円としてホフマン複式により年五分の中間利息を控除してその現価を求めると金四二九万四、九〇〇円となり、原告光正の療養雑費の合計額は金五八九万二、四〇〇円となる。

(五)  仮療養室改造費等

原告は、右のほかにも損害として仮の病室改造費として金一〇〇万円の支出を余儀なくされ、更に将来改めて療養に適する特別な病室を建造する費用として金三〇四万一、五〇五円を下らない金額の支出を余儀なくされると主張し、原告光正の前記後遺症状及び《証拠省略》等に照らし、同原告の療養環境の整備の必要性及びこれに伴う費用の支出を余儀なくされることは推認できるが、その全額を本件事故と相当因果関係にある損害と目することは困難であり、その額の算定は容易でないからこの間の事情は慰謝料額の算定の際に考慮するのが相当と考えられる。

(六)  付添看護費用 金二、二五六万四、六〇一円

《証拠省略》によると、同原告は本件事故の日の昭和四三年七月一日夜から今日に至るまで、県立中央病院に入院中は同病院が完全看護制を採っていたが、病状の特殊性から看護婦長の要請によって附添看護をすることになり、原告光正の看病に付添い、食事の世話、おむつの取り替え、その他一切の療養に要する諸雑用に当ってきたことが認められるが、同原告は前記後遺症状に照らし今後とも終生同澄子或いはその他の何人かの付添いを要し、そのため相当額の費用の支出を余儀なくされることが推認されるところ、《証拠省略》によって認められる健康保険法等に基づく看護料の支給基準、准看護婦の一日の看護料は昭和四三年は金一、〇六〇円、昭和四八年は金二、一〇〇円であること及び同原告に対する付添の内容、看護能力その他諸般の事情を考慮して、右付添費用を一日当り昭和四三年から同四八年までは平均金一、五〇〇円、同四九年以後は金二、〇〇〇円と認めるのが相当であるから、本件事故の日から昭和四八年末日まで二、〇一〇日分金三〇一万五、〇〇〇円、昭和四九年一月一日から昭和五二年三月三〇日まで一、一八五日分計金二三七万円、昭和五二年三月三一日から同原告の残余生存可能年数今後四六年の昭和九八年三月三〇日までの附添看護費相当額をホフマン複式により年五分の中間利息を控除して現価を求めると金一、七一七万九、六〇一円となり、以上の合計は金二、二五六万四、六〇一円である。

なお、原告澄子の附添のための下宿料は本件事故との間に相当因果関係を認められないから採用できない。

(七)  車いす、ベッド購入費 金七万四、〇〇〇円

原告光正が前記症状のため歩行困難なことはもち論、ベッドから身を起こすことさえ困難なことは前記認定のとおりであって、《証拠省略》によれば頭書掲記の費用を要したことが認められる。

(八)  逸失利益 金二、〇七七万五、二二六円

原告光正は本件事故当時満一六歳の健康な男子であったが、右事故のため、前記後遺症状に照らして明らかなように労働能力を完全に喪失してしまった。同原告は事故に遭わなければ、家業の農業は長男の広夫が継ぐことが窺われるから、高等学校卒業後は直ちに何らかの企業に就職して相当の収入を得られるであろうことが推認されるところ、原告光正が一八才になった昭和四五年以後の労働能力の喪失による損害を昭和四五年以後労働者の年間平均給与額が上昇していることを考慮して昭和四九年の賃金構造基本統計調査結果第二次速報による男子一般労働者一八ないし一九歳の平均年間給与額九二万一、一〇〇円を基礎にし、昭和四五年以後就労可能年数を六五才までの四七年とし、ホフマン複式により年五分の中間利息を控除して本件事故時の逸失利益の現価を算定すると頭書掲記の金二、〇七七万五、二二六円となる。

なお、原告光正は右算定の基礎給与額につき製造業従事の労働者のそれに従うべきことを主張するが、同原告が製造業関係企業に就職する蓋然性を認めるに足りる証拠はなく右主張は失当である。又、昇給分を考慮して算定すべき旨主張するが、同原告は未就労者であり、昇給の存否、割合を確定するに足りる証拠はない。更に、就労可能年数到達後も、それ以前の二分の一の収益がある旨の主張もこれを認めるに足りる証拠はなく、やはり失当である。

(九)  以上の損害合計額 金五、〇四八万九、六〇三円

(一〇)  過失相殺

被告日大、亡塚原に本件事故に対する責任原因が存することは前記二ないし四の項で説示したとおりであるが、他方次に述べとるとおり原告光正にも重大な過失が認められる。すなわち、一般に高校生ともなれば生命、身体の危険に対する予見能力は成人に劣らないものがあるとみるのが経験則に沿うというべきところ、更に本件のごとき体操クラブ活動に参加している生徒は、ことに自らの意思で危険を伴う練習を行うのであるから、正課の体育の授業の場合以上に自己の生命、身体の安全を保持すべき注意義務を負うものといわなければならない。そうしてみると、高等学校の体操部等危険を伴うクラブ活動においては、担当教師その他学校側の管理責任者のみが生徒の健康の安全保持責任を負うと解するのは相当ではなく、部員生徒自身にも大巾な右責任が課されているといわなければならない。勿論、右は一般論であって、個々の生徒がどの程度の右義務を負うべきであるかは競技の種類、性質から窺われる危険度、年令(高校生でも入学間もない一年生と三年生とでは同視できない差異がある。)、経験等に基づくことはいうまでもない。

ところで、同原告は事故当時満一六歳の高校一年生であったが、同原告の供述によれば中学時代から体操に親しみ、日大山形高校に入学するとすぐに本件体操部に入部して本格的に体操競技に取り組むようになり、前記二の項4に説示したとおりつり輪競技ではある程度の技量を有していたものであって、自分が問題の二回転着地を行える技量を有しているかどうか、いかなる措置が安全のために必要かについては十分理解していなかったことが認められるが、少くとも失敗した場合に直ちに生命、身体に重大な危険が生ずることの予見は十分できたと推認するのが相当である。従って、同原告は練習に際し一々他から言われなくても常に自己の技量に適した技に取り組み、全く新しい技に挑む場合は指導担当教師及び経験豊かな上級生に申し出て、その指示を仰ぐ等して、自らの責任と判断で危険な行為を避け、自己の生命、身体の安全を保持すべき義務を負っていたというべきである。しかるに同原告は初めて二回転着地を行うのに右義務を尽さず、軽卒にもAやその他の同僚部員の勧めに応じてこれを試みた過失がある。なお、原告らは右石井の勧めは拒絶の許されない命令であったかのように主張するが、《証拠省略》によればそのようなものではなく、単なる勧め程度のものであったことが明らかであり、又体操部に一般に上級生の言には服従しなければならないかの雰囲気があったとの主張も、これを認めるに足りる証拠はないから原告らのこの主張は採用の限りでない。

そうしてみると、原告光正が本件事故の発生に寄与した過失は極めて大きいといわざるを得ず、これを被告日大、亡塚原らのそれに比べ七割と認めるのが相当であり、他にこの判断を左右するに足りる証拠はない。従って、前記原告光正の損害合計額から七割を減ずると金一、五一四万六、八八〇円となる。

(一一)  慰謝料      金五〇〇万円

原告光正の前記後遺症状、療養経過と今後の予想、同原告自身の過失その他諸般の事情に照らし、同原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには金五〇〇万円をもってするのが相当である。なお、同原告は請求原因二3掲記のとおり、事故直後の救助措置、至誠堂病院から県立中央病院への転院の経緯等につき被告側に不誠実極まりない態度があった旨主張するが、これを認める十分な証拠はないから、慰謝料額算定に当って右主張の事情は考慮しない。

(一二)  損害の一部補填

原告光正が本件事故により日本学校安全会から日本学校安全会法及び同法施行規則に基づき医療費等として金一〇一万一、七五九円の支給を受けたことは当事者間に争いがないから、日本学校安全会法三七条の法意に照らし右金額の限度で同原告の損害は補填されたこととなる。

(一三)  弁護士費用    金一九〇万円

《証拠省略》によれば、原告らは本件訴訟代理人三名に対し本訴の提起を委任し、その際被告らから第一審判決その他の事由により賠償金が支払われた時に報酬総額として原告の受領額の一〇パーセントを支払う旨約したことが認められるところ、本件事案の難易度、訴訟代理人の訴訟遂行と審理の経過、認容額等に照らし、本件事故と相当因果関係にある損害としての弁護士費用は金一九〇万円と認めるのを相当とする。なお、被告日大の責任原因は前記のとおり債務不履行のみではなく、使用者責任をも負うことは前記三の項に説示したとおりであり、この弁護士費用の賠償は使用者責任に基づくものであることを附記する。

2  原告徳夫、同澄子の各損害  各金一一〇万円

(一)  原告徳夫主張の財産上の損害について

原告徳夫の主張する財産上の損害費用は、原告光正の受傷を原因とするものであるが、人の死傷事故による損害は死亡又は受傷そのものと解されるのであって右損害費目は原告光正の損害額を評価認定する事情にすぎないこと前記五の項1の(二)掲記のとおりであって、原告徳夫主張の右財産上の損害費目は本件事故と相当因果関係がないから採用できない。

(二)  原告徳夫、同澄子の慰謝料  各金一〇〇万円

原告光正の後遺症状が前記五の1(一)のとおりであって死亡にも比肩すべき悲惨な生ける屍と見ることができるところから、死亡の場合に準じて両親である頭書掲記の原告両名に慰謝料請求権を認めるべきこと前記三の項に掲げたとおりであるところ、前記原告光正に多大の過失が認められることその他諸般の事情を考慮すれば、原告徳夫、同澄子が被った精神的苦痛を慰謝するには各金一〇〇万円をもってするのが相当と認められる。

(三)  弁護士費用    各金一〇万円

前記1の(一三)で認定説示したとおりの事情によって、原告徳夫、同澄子についても、本件事故と相当因果関係にある損害としての弁護士費用を、各金一〇万円と認めるのが相当である。

六  被告日大及び亡塚原訴訟承継人被告らの賠償額

以上のとおりであるから、被告日大は、原告光正に対し債務不履行に基づく損害賠償として金一、九一三万五、一二一円、不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償として金一九〇万円合計金二、一〇三万五、一二一円及び内金一、九一三万五、一二一円に対する同原告が被告日大に本件事故による損害金の支払を請求した月であること原告徳夫、被告朝倉の各供述によって認められる昭和四三年一〇月の翌月である同年一一月一日から、内金一九〇万円に対する本件判決言渡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を原告徳夫、同澄子に対し使用者責任に基づく損害賠償として各金一一〇万円及び各内金一〇〇万円に対する本件事故の日である昭和四三年七月一日から各内金一〇万円に対する本件判決言渡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、亡塚原訴訟承継人被告らは亡塚原の前記代理監督者責任に基づく損害賠償債務を相続によって承継した(相続分は、被告塚原よしが三分の一、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫は各六分の一)から、原告光正に対し、被告塚原よしは金七〇一万一、七〇七円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫は各金三五〇万五、八五三円及び被告塚原よしの内金六三七万八、三七四円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金三一八万九、一八七円に対する本件事故の日である昭和四三年七月一日から、被告塚原よしの内金六三万三、三三三円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金三一万六、六六六円に対する本件判決言渡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、原告徳夫、同澄子に対し、被告塚原よしは金三六万六、六六六円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫はそれぞれ各金一八万三、三三三円及び被告塚原よしの内金三三万三、三三三円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金一六万六、六六七円に対する本件事故の日である昭和四三年七月一日から、被告塚原よしの内金三万三、三三三円、被告原裕子、同田中通子、同原宣子、同塚原和夫の各内金一万六、六六六円に対する本件判決言渡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務がある。

なお、被告日大と亡塚原訴訟承継人被告らの原告光正、同徳夫、同澄子に対する各損害賠償債務は一方が支払えばその支払の限度で他方の債務が消滅するいわゆる不真正連帯債務と解される。

七  むすび

よって、原告光正、同徳夫、同澄子の被告日大及び亡塚原訴訟承継人被告らに対する本訴各請求はいずれも前認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余の各請求はいずれも失当として棄却し、被告朝倉に対する請求は理由がないからこれを棄却し、原告広夫、同きゑ子、同悦子の被告らに対する本訴各請求はすべて理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野澤明 裁判官 原健三郎 藤村啓)

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